タクトの旅日誌

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これからのキャラストの話をしよう~キャラストの話~


こんにちは!
タクトです。

前回は「これからのキャラストの話をしよう〜大型アップデートの話〜」を書きました。


内容も内容でしたし、長々と失礼しました。自分の書くものとしては反響も大きく、ありがたい限りです。

さて、広げた風呂敷は畳まねばならぬと言った傾奇者がいたかどうかは知りませんが、やっぱり私もならぬと思うので、畳みにかかろうかなと思います。

前回は大型アップデートがどういった経緯で起こったのか、何が想定外で、どういう意図があったのかについて、推測していきました。

その中で出てきたのが、

「Aimingはキャラストを諦めていない」

という仮説と、

「キャラストを支える重課金者を支えるのは誰か」

というクエスチョンです。
今日はこのあたりについて書きながら、これからの話をできればなと思います。

まずはクエスチョンから。
今回はテンポよく結論から行きましょう。重課金者を支えているのは間違いなく、中課金・低課金と言われるレンジの人たちです。

私の仕事というか、ビジネスマンとしての師匠にとあるマーケターの方がいます。
その方が言っていたのが「ソシャゲなどの課金型のサービスって課金と見返りのバランスが秀逸に出来てるんだよ」ということでした。
その時は私はソシャゲをやったことなかったので、「へぇー( ゚д゚)ポカーン」と思っていましたが、
初めてキャラストをやり始めて、ハマってきたあたりでこの言葉を実感しました。

確かにゲームにハマり、強くなりたい。もっといろんな選択肢を手に入れたい。と思うと時間がかかりますが、その時間を一気に短縮してくれるのが課金でした。課金をするとその額が大きくなるほどに額と成長速度の正の相関関係が適正になっていき、満足感を得やすい形に収束していくことを肌身で感じたからです。

ところでこの満足感とはなんでしょう。
枝葉を見れば、それこそ十人十色、人によって違うというのは間違いありませんが、もう少しデフォルメしてみると結局は「実感」なのではないでしょうか。

強くなった実感、優れている実感、成長している実感、楽しめている実感、属している実感などその方法や感じるポイントは人それぞれですが、皆それぞれに何かしらの「実感」を求めているというのが真実な気がします。逆にその実感が損なわれると例えお金をかけても満足感は得られません。

今、キャラストで多く聞かれる不満、不安はこの「実感」が損失の危機に陥っているような気がするのが主な原因だと思われます。
しかも、この「実感」の指向性はおそらく課金額のレンジに対応するような形で、大まかではありますが、分類できる気がするのです。

まず、重課金のレンジでの「実感」はなんでしょうか。
それは強くなった実感、そして優れている実感です。これらはいずれも相対的な実感であることが特徴です。

「ちょっと待ったーー!!強くなった実感は事実ベースなんだから絶対的なものじゃないの?」

その疑問はごもっとも。確かに強くなった実感はレベリングや進化、クエストクリアなどある種の事実ベースで計れるので、絶対的な側面を持っています。ただ、重課金と言われるレンジではおそらく、いずれもほぼほぼ達成がされており、新たな実感を得るためには他者と比べてという視点が欠かせなくなってきます。そこで何かしらのランキングやそれに紐づくコンテンツを頑張って、そこを上げるために課金をするというのは至極真っ当な流れだと思います。

逆に中課金・低課金のレンジを支える「実感」とはなにか。
それは楽しめてる実感や成長できている実感、属している実感だと思われます。ここのレンジは人口が大きいので、実感の指向性は枝葉まで見ていくと非常に多様であることが予想されます。

しかしいずれも主観的な実感で絶対的な実感です。この実感は各人の指向に依るところが大きく、実感同士が相手の実感を犠牲にするようなカニバリゼーションも起きうるため、全てに満点回答を出すことは不可能です。

キャナル「ふーん、じゃあさ、中課金・低課金はメンドーだし、重課金者向けのことだけやれば良いじゃん」

キャナル、それじゃダメなんだよ。だって、上位レンジの「実感」は相対的なものなんだから。中課金・低課金を見限るっていうことはサービスそのものを見限ることになるんだよ。
(唐突にキャナルに登場してもらいましたが、他意はありません。キャナルファンの方すいません!)

というのも、重課金レンジでは他者との比較の重要度が高まる傾向があるため、多種多様な他者の存在が不可欠です。これは何も「俺はあいつよりツエー」的な競争だけでなく、他の人が達成できてないことを成し遂げたとか他の困ってる人を助けてあげられるみたいな単純な差異や誰かの役に立っているみたいな実感も含まれます。

つまり、キャラストを支える重課金者を支えるのは我々中課金・低課金レンジの人々。もっと言えば、多種多様な他者、つまり多様性なのです。

そこでもう一度大型アップデートに目を向けてみます。
デュエルに目配せをしたキャラクター上方修正やデュエルの仕様変更は誰のためのものでしょう。
それは前回の日誌でも述べたとおり、「固定化」を防ぐためのものでした。
固定化を防ぐことは誰にとって良いのか。それは固定されていた重課金者の方というよりはその下にいる層に向けたもので間違いないと思います。

つまり運営は意図しないアップデートを迫られたものの、中課金・低課金レンジの課題は認識しており、そこに対する手を打とうとしたと言えるのではないか。つまり、まだ中課金・低課金レンジを諦めていないのではないか。それはそのまま、

「Aimingはキャラストを諦めていない」

ことになるんじゃないか。と私は考えています。いや、信じていると言った方が実際の感覚には近い気もしますが(^_^;)そして、さらに

「キャラストを支えているのは多様性である」

ということも同様に言えるでしょう。

やっばー。。。やっぱり長くなってしまっている。。。
畳めてないじゃないかorz

自分の文章力、見通しの甘さに絶望しつつ、次回こそ必ず結論にします。




タクト

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