バナナの旅日誌

公開

旅について(事件を経験して)


旅って何?

RPGの良さって何でしょう。
RPGの良さ。
僕にとって、それは少しづつ積み上げていって、何かしらを達成する喜び。そのワクワク感だったりします。
フォルク村から出て行く時のワクワク感。ラットルを倒した時の達成感。そう言った物を積み上げて行く。あたかも自分が経験を積んでの様な楽しみ。本来のRPGの楽しみは、そんなワクワク感にあります。
 また、ゲームの中にも様々なレベルの旅人がいます。イベント会場も同じです。やっとネロにたどり着いたばかりの、若い意気揚々とした若者もいます。そう言った若者にとっては、ベテランにとってはつまらないレベルであっても、若者は若者なりにアイテムや経験を積み上げて、それを励みに楽しんでいる。
 様々なレベルで、様々な楽しみを見つけて旅を続ける。本来ならRPGの楽しみは、そうあるべき姿でしょう。
 ただ現実は残酷で異なったわけです。今回の事件です。
 積み上げたチケットがいかに取るに足らないものだという事を納得させる説明とともに、これで喜べと押しつけられたわけです。
 残念でなりません。

 ガチャ出現以前と出現以降のゲーム業界


 『ガチャがゲーム業界を駄目にした』と、よく言われます。
 ガチャ以前はメーカーは、良い旅の質を競い、ユーザは新たな次の冒険の発売をワクワク楽しみにするという時代でした。良い冒険には消費者が集まり、良い冒険はシリーズ化されて、新たな冒険をワクワクして待った。そんな時代でした。
 ガチャ以降は、全てが変わりました。様々なマーケティングの評価指数を駆使して、いかにガチャを回転させて課金させるかをカジノ店の如く競う様になりました。
 そこではRPGはひと月楽しめる程度の見せかけだけになり、ガチャに誘導させるための釣り針につけてユーザーを捕まえる餌にしかすぎなくなったのです。あたかも楽しげな冒険が次々と提供されるかのような振りをして、擬似餌やルアーの如く、何年もユーザーを誘い続けるのです。
 ユーザーはそのたった数週間程度のストーリーでも『せっかく経験したのだから、やめられないよ、待っていればワクワクした冒険は再開されるはず。』と勝手に思ってしまうのです。そんな心理を利用して、魚の喉に刺さる釣り針のようにユーザーを引き留めるのです。釣り餌は釣り餌にしかすぎないのですが、数年前からあるそんな餌にさえ、今日も新たな魚がかかり続ける訳です。
 このように、ガチャ以前と以降のゲーム業界は大きく変わってしまったのです。
 

 さて、今日もイベント会場には多くのユーザーがいるようです。


 旅のワクワク感を感を抱えた若者もいますが、旅を続ける事を忘れてしまった人もいるでしょう。
 旅の楽しみより、金の損得だけを楽しみにするしかない、心底老いてしまった老人の様な元旅人もいるかもしれません。
 しかし、それはその本人だけが悪いわけでは無いのです。洗練された仕組みの中では、ユーザーは単なる魚でしか無いのですから。本当は面白くない作業やつまらない繰り返し。だけど、しがらみに縛られて身動きのできない閉塞感。老いた老人が皮肉屋になるように、『どこに行ってもそんなものだ。諦めろ』と呟くとすれば、現実世界そのままのようです。
 

 窓の外には青空が広がっています。

 僕らは時々それを忘れてしまいます。今回の事件は、僕にとって、それを思い出させてくれる、良い機会になるような気がします。
 1番貴重な資源は、マネーでも幻魔石でもなく、それぞれのユーザーの時間だと思うのです。本当にそう思うのです。


バナナ

コメント