リンデンの旅日誌

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作家の意地


: 旅日誌 :  今日の当番【トロフィム】

「ふぅ……ここいらで休憩といきますか」
 私は愛用の羽ペンを休ませました。そばでは、ユウリさんが原稿の整理をしてくださっています。彼女はとても几帳面なので助かります。
「そうですね。フィロメナさんからお茶をもらってきましょうか。先程、ハーブを摘んでこられたようですから」
「フレッシュハーブティーですか、いいですねぇ。——ああ、それはもうそのままに。ユウリさんをこれ以上働かせては申し訳ないです! ご一緒にキッチンまで行きましょう」
 キャラバンのキッチンはなかなかに機能的です。さすがポルカさん。いいセンスしてますねぇ。最近、ジャオキキさんが旅の仲間として加わったので、毎日の食事が楽しみでなりません。
「あれ、なんだか良い匂いがしますね」
 ハーブの香りが漂っています。そしてテーブルにはカップが三つ……。どなたかいらっしゃったのでしょうか。
「むむっ! これは!」
 ポワトト氏が突然湧いて出てきました。
「謎はすべて解けました! 数分前、二人の人物がフィロメナさんとともにお茶を飲んでいましたね!」
「……状況を見ればそれは明らかです。謎でもなんでもありませんよ」
 私はつい、意地悪な考えが浮かんでしまいました。
「ではポワトトさん、先程まで誰がここにいたのか、推理してみてください。見事当てられたら、あなたをモデルにした推理小説を書いてあげましょう」
「この名探偵に挑戦状を突きつけるわけですね。ふっふっふ、いいでしょう。受けて立ちますよ」
 フィロメナさん、ユウリさんが見守る中、ポワトトさんはカップをこねくり回しながら〝調査〟をしていました。
 ルーペで穴の開くほど観察し、次に床を這い回っていた彼は、ある一点を見た時にピクリと眉を動かしました。
「むむっ! わかりましたよ。先程までここにいたのは、フィッツバルト氏とモーリー嬢ですね」
「すごいですね、ポワトトさん! おっしゃる通りです。そのお二人がお茶を飲んでいかれました」
 いつもトンチンカンなことをおっしゃるので侮っていましたが、なかなかやりますね。——んん? ちょっと待ってください、一点ひっかかることが……。
「フィロメナさん、今〝お二人が〟お茶を飲んでいったと仰いましたね?」
「そうですよ」
「フィッツバルトさんも?」
「はい。お茶がどこをどう通っていったのかわかりませんでしたが」
 なんと…… なんとなんとなんと! 彼は飲み食いできたのですか!
「ポワトトさん、何が決め手だったのですか?」
 ユウリさんが推理の道筋を興味深げに尋ねました。
「こちらのカップは、フィッツバルト氏が使ったものでしょう。唇紋と指紋がありません。常に手袋をしている人物は限られている。その中で唇紋を残さずにカップに口をつけられる者と言えば! デュラハンであられるフィッツバルト氏しかおりません」
「拭き取ることもできますよね?」
「さすがはフィロメナさん、鋭いところを突きますね。拭った可能性もありますが、その痕跡は見受けられません。唇紋はなく、水滴が残るのみです」
「モーリーだとわかったのは?」
「これです」
 ユウリさんからの質問に、ポワトトさんはポケットから紙で包まれた何かを取り出しました。
「重要な証拠品です。これにより、モーリー嬢であることが確定されます」
「なんですか、それは」
 ピンセットでつままれたそれは、ダークグリーンの布切れのように見えました。
「これは風船の残骸ですよ。ゴムと火薬の匂いがします。いつも車椅子に危険な風船を括りつけているのはモーリー嬢しかいません」
「なるほど。個々の特性をよく観察してらっしゃいますね」
 ユウリさんの目がまん丸になっています。よほど感心したのでしょう。
 私は適当に挨拶をして、その場を離れました。

 それよりもなによりも……!
「フィッツバルトさん! どういうことですか!」
 キャラバンの外で稽古中のデュラハンを見つけて、詰め寄りました。
「トロフィム殿、如何なされましたか。まったく話が見えないのですが」
 私はどうにも怒りが収まらず、カッカしながらも経緯を話し、苛々をぶつけてしまいました。
「——ああ、お茶を飲んだことですか。私自身も、飲めるとは思ってもみませんでした。ヴェロニカ様、リドミラ様に直接お尋ねになったほうが宜しいかと。私の身体を再構築されたのはお二方ですからな」
「はぁ……それもそうですね。ご尤もです。頭に血が上っていたようで、大変失礼いたしました」
「いえ、お気になさらず」
 ポルカさんに頼んで、急ぎ宵闇の草原まで行きました。ヴェロニカさんたちは、今日は研究所にいらっしゃるはずです。うろついているゾンビたちの間を猛スピードですり抜け、最奥の研究室へと向かいました。
「ヴェロニカさん、ちょっと教えてください!」
「あらあら、珍しいお客さんねぇ。何が知りたいの?」
「フィッツバルトさんの体内構造についてですよ」
「じゃあ、解剖でもする?」
「そうじゃなくてですね! 彼の頭蓋骨と身体の結びつきはどのようになっているのです?」
「つながってるわよ」
「どうやって!?」
 ヴェロニカっさんは困った顔になりました。
「こればっかりは、呪術でとしか言えないわね。物理的に説明できるものではないもの」
 事情を説明すると、ヴェロニカさんは私の苛々を笑い飛ばすように、楽しそうな様子で手を叩きました。
 あまりにも大きな音だったので、近くにいたゾンビたちがこちらを振り返ったほどです。朽ちた身体になっても、恐怖は覚えているのでしょうか。人が本能的に反応する恐怖というのは大きな音と、落ちることだそうですよ。
「デュラハンをモデルにした小説を書いたのね? で、物理的に飲み食いできないと判断して書いちゃったわけね。あっはっは! まあ、そうよね。首がないんだし、死者だし、食物を摂取する意味がないものね」
「首が離れているのにお茶が飲めるなんて設定、納得できませんよ」
「それは私に言われても困るわ。あなた作家なんでしょう? どうにでもできるわよ。——ええと、どの部分だったかしら。あ、これね。この表現だったら、意味深なほうにとってもらえばいいんじゃない?」
「……仕方がありませんね。わかりました、どうにかしますよ。——ところで、彼の首は元に戻るのですか?」
「不可能ではないわ」
「歯切れの悪い回答ですね」
「本人の意思が関係してくることだから、ハッキリと言えないの。ごめんなさいね」
 呪術とはそういうものですか……。予測が不可能な作用もあるということですね。
 デュラハンは〝死を予言する存在〟として恐れられ、異国の北方地域で伝承されているアンデッドです。頭にこそ生命が宿るという人頭崇拝の考え方から生まれたようですよ。
 とすると、首が戻れば彼は生命を得ることになります。血肉までもが戻るようなら、アンデッドではなくなる……?
 わかりませんね。今後の彼の扱いが難しくなります。

「と、いうわけで! 貴方にはまだデュラハンのままでいて頂きます!」
 宵闇の草原から戻ったあと、ランズ岬で海を眺めていたフィッツバルトさんに羽ペンを突きつけました。
「……事情はわかりましたが、複雑な心境です」
「まあ、そうでしょうね。今後のことを思うと、私も同様に複雑です」
 二人して海を眺めながら、しばし無言になりました。
「魂を留めることができるのは、呪術のなせる技なのでしょうか。それとも、意思の問題ですかな」
 しばらくしてから、フィッツバルトさんが沈黙を破りました。
「真実であるかどうかはわかりませんが、魂は本来なら、この世での役目が終われば、還るべきところに還るものです。そしてまた新しい肉体を選び、生まれて修行を続けるのです。意思の力も働いてくると思いますよ。悔恨の思いが強ければなおさら、呪術が関係すれば強力な思念となるのではありませんか?」
「ふむ……」
「果たすべき使命をずばり心得ているのは、魂だけです。私はそう考えております」
 その後しばらく、フィッツバルトさんと魂談義が続きましたが、宵闇が近づく時刻になると身体が冷え、くしゃみが飛び出しました。
 フィッツバルトさんに断りを入れ、一足先にキャラバンに戻ろうとした時でした。誰かがキャラバンから出て来たようです。暗いのでよくわかりませんでしたが、小柄な女性のようでした。
「あれは……ユウリ殿では?」
 フィッツバルトさんの全身に力が入るのがわかりました。護衛として付いて行くつもりでしょう。
「こんな時間に一人では危ない。私が追いますから、トロフィム殿はキャラバンにお戻りください」
「お言葉に甘えさせて頂きます、と言いたいところですが、私も行きます。戦闘になるのであれば、斧槍の躍動感をぜとも間近で!」
「細かいことはよろしい! どうなろうと覚悟がおありならば、参りますぞ!」
 この辺りは凶暴なビーストはいないとは言え、賊が出る可能性は大いにあります。
 私たちは急ぎ、彼女の後を追いました。
「ユウリ殿!」
 フィッツバルトさんの力強い声で驚いたらしく、目を大きく見開いて、足元に何かを取り落としました。
 近づいて見ると、この辺りに自生している花でした。
「一人では危険ですぞ。なぜこんな時間に……」
「あ、あの……」
 そのあと、彼女の言葉が紡がれることはありませんでした。私には一つ、思い当たることがありましたが、この場で指摘するのは躊躇われました。
 落ちた一輪の花を拾い上げ、そっと彼女に渡しました。こういった役目は、騎士にこそ相応しいのでしょうが……。
「貴女の勇気はきっと、あの人に伝わりますよ」
「トロフィムさん……」
 花を受け取ると、ユウリさんは小さく、ありがとうと言いました。差し出がましいことをしてしまったと少し後悔しましたが、今回は仕方がありません。
「さあ、キャラバンに戻りましょう」
 ユウリさんは寂しそうな表情で頷きました。頭上では満月が美しく輝いています。人知れず祈りを捧げたかったことでしょう。それを邪魔してしまいました。あとでお詫びをしなければ。

 翌日、アチ村ヘブンスで星座ビーストの討伐があるとかで、私はメモ用紙をたっぷり用意して向かいました。勿論、フィッツバルトさんの華麗なる斧槍さばきを見逃さないためにも! 最前線で陣取るつもりです。
「フィッツバルト、頼りにしてるよー」
 キャナルさんが後方から声援を飛ばします。それに応え、宵闇の騎士は武器を構えました。
「お任せください」
 戦闘が始まり、ハルバードの鋭い一撃が美しい弧を描き、ガンブラストでビーストが鮮やかに吹き飛……
「ぎゃふうっ!!」
「トロフィム殿! ご無事か!」
「だ、大丈夫です。爆風に巻き込まれただけですから」
「はーい、もうちょい離れましょうねー」
 キャナルさんに引きずられて後方に下がりましたが、ここでは細かいところが見えない……!
「危ないって言っても、気づくと危険地帯にいるよね。どうしてそこまで熱中できるのさ」
 カールさんに問われて、私は力強く回答しました。
「ノンフィクション作家として、リアルな描写は必須なのです。誤解や矛盾が生じないためにも、現場での取材は徹底しなければ! それが作家の鉄則です!」
「修辞が多すぎて戯曲作家って呼ばれるようになったんでしょ? もうノンフィクションにこだわることないんじゃない?」
「痛いとこ突きますね。事実その通りですが、作家としての使命がありますので譲れません。特に! フィッツバルトさん、貴方の身体は謎が多すぎます。よぉぉく観察しなければなりません! どんなに小さなことでも見逃すわけにはいかないのです!」
「ここまでくると、天晴れと言う他ないですな」
「アタシも、この人につける薬ないわー」
「なんとでも仰ってくださって結構! 私は私の魂に従うのみです」
 ふとキャラバンの方を振り返ったとき、ユウリさんの姿が目に入りました。憂いの表情を湛えながら、心ここにあらずと言った様子でした。私の視線に気づくと、寂しそうな表情のまま微笑みました。彼女の問題も、なんとか解決してあげたいところですが、如何せん力と知識不足な私では、できることも限界があります。博学なメルロさんにご助力願いましょうか……。
 色々ありましたが、今日も無事に(何事もなくとは言えないよね!? とカールさんにツッコミ入れられそうですが)過ごすことができました。
 最前線に陣取るおかげで、なかなかに刺激的な毎日を過ごさせて頂いております。
 私のコピースキルはタイミングが合わないとイマイチな技かも知れませんが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。


リンデン

コメント

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旅日誌マスター

リンデン

ID: efgqnfvan78t

伏線を入れたらまとまりつかなくなってしまった;;
モーリーとフィッツバルトのクロスストーリーを見て、「飲めるんかい!」と逆上したために出来上がった話です。
飲めないつもりで書いてしまったじゃないか。
細かい描写はありませんでしたが、おそらく頭蓋骨の口から飲んだんでしょうね。
「どこをどう通って行ったのか」というセリフから推察するに、ぽっかり開いた首元からではないだろう、と。
モーリーが頭蓋骨の目の前に人形を置いたら「それでは見えませんよ」と言ったことから推測するに、頭蓋骨の眼窩から物を見ているのでしょう。首が離れていても身体とは何かしらの力で繋がっているのだろう、と色々考えていたらポワトトが登場したので使っちまえと出してみました。(^^;)
まともに推理してるけど許してね。
『ブドウ殺人事件』ではトンチンカンっぷりを発揮させますよ。