リンデンの旅日誌

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秘められた可能性


: 旅日誌 :  今日の当番【ソロ】

〝ーーまさにその時、三日月のように弧を描いたハルバードが鋭く空を斬り裂き、刃先に蜘蛛の糸の如く繊細なる輝きの余韻を残しながら、敵に最期のとどめを……〟

「ぎゃああああ!!」
 叫び声を上げたのは、敵ではなく作家であった。
「トロフィム殿!」
 フィッツバルトくんがビーストを斬り捨て、完全に息絶えていることを確認してからトロフィムくんに駆け寄った。斬られた瞬間に事切れてはいたが、油断しないところは流石だね。
 それにしても、いつもいつも無茶をする作家だよ。
「血があああ!」
「騒ぐでないよ。応急処置をしておけば、治る傷だ。ーーフィッツバルトくん、キャラバンに運んでおくれ」
「承知しました」
「フィロメナくん、止血剤を頼むよ。ちょうどいい薬草がいくつかあったろう? ガマがいいね」
「はい、ただいま用意します。鎮痛薬も急ぎ調合します」
「うわあ、スゴイや。ソロ、まるでお医者さんみたいだね」
 近くで見ていたカールくんが、感嘆の声を上げた。
「長年の経験が成せる技さね。そんな大仰なことではないよ。あとは、優秀な医師たちに任せよう。モーガくんが適任かな。あの子、解剖は得意だろう?」
「開かせちゃうの!? 傷の縫合だったら、リドミラとか……」
「いやいや、そうではなく。解剖経験者だったら、跡を残すことなく綺麗に縫い合わせられるだろうと思ったのさ。こう言っては申し訳ないが、物理的な痛みがわからない者に治療を任せてはいけないよ」
 例によって、作家のトロフィムくんがメモに夢中になり、フィッツバルトくんのちょうど背後にいたものだから、ハルバードの刃筋に巻き込まれたのだ。直接は当たらなかったものの、(腕が良いのだね)その太刀筋が生んだ斬風だけで斬れてしまった。
 今回ばかりは、縫わなければならいかな? かなり出血しているようだったから。
「だ、大丈夫!? 僕が治療してあ…げ……」
 キャラバンに乗り込んだとき、誰かの声が聞こえた。あれは……パルヤンかな? だが、声は尻すぼみに小さくなり、バタッと倒れる音がした。私は急いだ。
 キャナルくんがモーガくんを呼んだらしく、騒ぎを聞きつけた者たちも集まっており、治療室の付近は混み合っていた。
「道を開けておくれ。ヒーラーと医師以外は下がりなさい。緊急だよ。ーーパルヤン?」
 人を掻き分け、倒れているパルヤンを見つけた。ロロタタくんが様子を見ていてくれたようだ。
「気絶しているだけね。動かしても大丈夫よ」
「ありがとう。助かるよ」
 ちょっと血が出ている、という程度ではなかったからショックが大きかったようだ。
「この子のことは、私に任せておくれ。ーーモーガくん、後は頼んだよ」
「はいっ!」
 パルヤンを抱き上げ、彼の自室に向かった。途中でユウリくんとすれ違ったので、頼みごとをした。
「もう少し後で構わない。パルヤンの部屋に水を用意してくれるかな」
「はい、お持ちします。ーーあの……」
「なんだね?」
「ガルゴゴさんに、お知らせしたほうが宜しいですか」
 彼女の機転の良さには頭が下がる。ちょうど、言伝をお願いしようと思っていたところだった。
「頼むよ。彼はまだ眠っているかな」
「もうじき起きて来られると思います。あと少しで黄昏時ですから」
「宜しく」
「承知しました」
 またひと騒ぎ起きるかなと思ったが、それは杞憂に終わった。

 パルヤンをベッドに寝かせ、フィロメナくんが渡してくれたホオノキの葉で少し扇いでやった。長さが50センチもある大きな葉で、何かと便利に使えるものだよ。
 ちょうど良いタイミングでユウリくんが水を持ってきてくれた。どうやら、面会人もいるようだ。
「具合はいかがでしょう」
「落ち着いているよ。先程より顔色が戻ってきたね」
「……倒れたと聞いたが」
 ガルゴゴくんがユウリくんの後から部屋に入ってきた。彼のほうが顔色が良くない。よほど心配したのだろうね。
「トロフィムくんの流血を見て、気絶してしまったんだ。もうじき目が覚めるだろうよ」
 ユウリくんに目配せすると、彼女は一礼して部屋を出て行こうとした。その時ーー
「ユウリ」
「はい」
「伝言、感謝する。……ありがとう」
 ガルゴゴくんがそう言うと、ユウリくんはにっこりと笑ってドアを閉めた。
「ここには優秀な医師や看護士、薬剤師がいて助かる」
「そうだね」
 ガルゴゴくんがパルヤンの額をそっと撫でると、大きく息をついた。それで身体の緊張も解けたようだ。
「やはり、駄目であったか。どうしてやれば良いのだ……?」
 こう言っては失礼だが、言わせてもらう。ーー親バカの域にきているようだね。
「外科的なことが向いていないのであれば、カウンセラーでも良いのではないかねえ」
「カウンセラーか……」
「軍医なら、なおさら求められる分野ではないかと思うよ。戦場に出る兵士たちは物理的な傷の痛みよりも、精神的な傷のほうが深く残ってしまうものだ。どうしても血を見るのが駄目なら、そういう道もある」
「なるほどな」
 彼の中で合点がいったことがあるらしく、どのように水を向けて聞き出そうかと思案していたところ、彼の方から話してくれた。これは私の心の中にしまって、省かせて頂くとしよう。
「……ああ、そういうことがあったんだね。だとしたら、尚更ではないかな? 相手の心を緩め、癒せる才能を持っているのだよ」
 その時、ドアがノックされた。迷いのない規則的な音だった。宵闇の騎士が来たようだね。
「お入り」
「失礼致します。ーーやはりこちらにお出ででしたか」
 最後の言葉は、ガルゴゴくんに向けられたものだった。
「居ては不都合か」
「まあまあ、そう噛みつきなさんな。フィッツバルトくん、そこに掛けなさい」
「恐れ入ります」
「容体を知らせに来てくれたのだろう?」
 少し驚いたように、首から立ち昇る蒼い炎が揺らめいた。
「ソロ殿は何でもお見通しですな。つい先程治療が終わりまして、鎮静剤を服用し、眠っている状態です。モーガ殿の処置は見事なものです」
 傷がついてしまったのは上腕二頭筋長頭の上層部で、もう少し刃に近かったら骨まで達していたそうだ。
「良い切れ味だな」
 ガルゴゴくんが皮肉めいた調子で言った。パルヤンの首筋の傷のことで、まだ少し根に持っているらしい。
「先日の件については慙愧に耐えません。試すためとはいえ、些か暴走し過ぎました。許されないことであるのは重々承知しております」
 首筋の傷は、もう赤黒い瘡蓋になって消えかけている。
「大事には至らなかったが、もしそうなったら如何に責任を取ーー」
「ケンカ、しないで」
 パルヤンが半身を捩って起き上がった。いつから聞いていたのだろうね。
「しかしだな」
「二人が仲直りしてくれないなら、僕はもう、口きいてあげないよ」
 私は思わずニヤニヤと顔が緩んでしまった。この一言はストレートに効くよ。この子は天性のカウンセラーかもしれない。
 大の男二人は顔を見合わせ、揃って言った。
「面目ない……」
「もう、ケンカしないね?」
「ああ。約束する」
「男に二言はございません」
 パルヤンは満足そうににっこりと笑った。天使の笑顔とはこのことだよ。
「よかった。僕、トロフィムのお見舞いに行ってくるね。……心配かけてごめんなさい」
 ドアが閉まると、ガルゴゴくんがぽつりと口を開いた。
「あの時ーー最初は、飛び出して行こうかと思った。だが、守られるばかりでは成長はすまい。そんな思いが過ったのだ」
「やはり目覚めておいででしたか」
「言うに及ばず。我が子も同然の幼子を捨て置けるか」
「浅はかでした。申し訳ございません」
「もうよい。子どものように意地を張った我も大人気なかったな」
 こちらもどうやら落ち着いたようだね。私はそっと席を外した。あとは二人で話し合ってもらおう。
「そうだ、フィッツバルト殿、ソロ殿から意見を賜ったのだがーー」
 もう私の姿が視界に入らぬほど熱中している。うん、いい調子だね。
「ーーほう。なるほど、その手がありましたか」
 静かに部屋を横切り、ドアを閉める前に聞こえてきたのは、パルヤンの〝可能性〟の話だった。
 まるで学校の先生と保護者だよ。さて、私も作家先生の様子を見に行こうかね。

 治療室の前まで来ると、話し声が聞こえてきた。もう起きても大丈夫なようだ。
「ペンとノートだけで、いっつも最前線にいるじゃない? 怖くないの?」
「リアルで迫力ある描写を書くためには命は惜しみませんよーーと、カッコ良く言いたいところですが、恐怖など感じている暇がありませんね」
「暇がない……。そ、その感覚はわからないなぁ。まず怖いって思わない?」
「僕の眼に映るもの全てが作品の基礎となるのです! どんな些細なことでも見逃すわけにはいきません。そう思った瞬間にアドレナリンが脳内を駆け巡りますね!」
「あ……! 交感神経の作用か…」
 医師のたまごなら、ピンと来る一言だ。そろそろ頃合いかな。ドアノブに手を掛けた状態でノックした。
「ソロだ。入っても構わないかね」
「どうぞ」
 パルヤンの声が応えた。
「これはこれは、ソロ殿ではありませんか。わざわざお越しくださるとは、恐縮です」
 ギプスで固定された右腕が痛々しいが、本人はすこぶる元気なようだ。
「調子は如何かな」
「右腕以外は心身ともに回復しておりますよ。しばらく思うように書けないでしょうが。左手だろうが書いてみせます」
「まるで記者並みの根性だね。見上げたものだよ」
「僕にはそれしか能がないものですから。必死にもなりますとも」
 パルヤンは先程から何か記憶を辿っているようで、視線は宙を捉えたままだった。
「アドレナリンが巡る……心臓血管系の促進により……そうか、交感神経緊張状態になるとーー」
 どうやら答えを見つけたようだね。
「トロフィムはだから、痛みに気がつくのが遅いんだ」
「きみも体験したからわかるだろう?」
 水を向けると、パルヤンは無意識のうちに左の首筋に手をやった。
「あの時は、何が何でもガルゴゴに休んでもらわなきゃって思って、必死だった…」
 恐怖心よりも怒りに似た感情が勝り、年季の入った騎士にも負けず劣らずの気迫が生じたわけだね。
「何の話です? 何だかわかりませんが大筋からすると、素晴らしい武勇伝が出来上がりそうですね。ぜひともモデルにさせて頂けませんか! ーーああ、待って。今とてつもなく良いアイディアが降りて来そうなんです! 話しかけないで!」
 では、遠慮なく話を進めさせてもらうとしよう。
「恐怖心というのは、太古の時代より続く、命を守るための本能だから大切なことではあるのだよ」
「う、うん……。ただ、僕の場合は極端でしょ?」
「身を守るための術を知らないからさ。常に、守ってくれる人がいた。違うかい?」
「そう…そうだね。いつもイザイア先生が……。う…先生ぇ…」
 これはいかん。このホームシック癖も何とかしなければ。泣き出さぬうちにと、急いで治療室から連れ出した。作家先生は降ってきたアイディアとやらをメモに書き留めるのに必死だ。左手で書いている。何という根性だろうか。もし両腕が塞がったら、口でペンを咥えて書きかねないな。

「今度はきみが、誰かを守る番だ」
「ガルゴゴにしたように?」
「そうだよ」
「できるかな……」
 暗い廊下を歩きながら、パルヤンは項垂れた。
「出来たではないか。斯様に刃を突きつけられては、普通は恐怖で身が竦むものだ。それを上回る何かが湧き出て来たのだろう?」
「うん」
「それは何だろうね? メルロくんも、きみを庇ってくれたことがあったろう。あの時は…蜂が迷い込んで来たのだったかな?」
「メルロも怖がっていたけど、僕よりは皮膚が分厚いから、刺されても大丈夫って…盾になってくれたの」
 咄嗟の勇気。誰かを守ろうとした時に発揮される力。それは親心に似ているね。
 そうこうしているうちに、パルヤンの部屋の前まで来た。紳士諸君は場所を移したようで、中は静まり返っている。ドアを開け、中に入ってランプに灯りをつけると、パルヤンは思い出したように言った。
「僕も、フィッツバルトさんみたいに強くなりたい。ま、まだ虫とか怖いけどね! ーーあのね、特訓だって言って宵闇の平原に連れ出された時、フィッツバルトさん、カッコよかったんだよ。あんな風に、僕も誰かを守る盾になれたら、って思う」
 その言葉を聞いて安心した。彼の背をそのように見ているのならば、過度に心配する必要はなかろう。時間はかかるだろうがね。
 パルヤンをベッドに寝かせて、ランプの光を弱めた。
「類い稀なき師を見つけたようだ。フィッツバルトくんから護身術でも教わったらどうかな」
「明日、聞いてみる」
「よし、いい子だ。ーー何かお話をしてあげようか」
「ノーファスライルの冒険が聞きたい。でも、ソロお兄ちゃんのとっておきのお話があったら、聞かせて」
「ああ、いいとも」
 少しずつだが、進歩しているようだ。周りの大人の影響もある。自ら気付くことこそが成長の第一歩であるということを、ガルゴゴくんはよく心得ている。彼らのような大人がついていてくれるのならば、パルヤンの怖がり癖も遅かれ早かれ軽減してゆくだろう。
 ふと見ると、最後まで話終わらぬうちに、パルヤンは深い眠りに落ちていた。
 どうか真っ直ぐ育っておくれ。幸せそうな寝顔を見ながら、そう祈らずにはいられなかった。


リンデン

コメント

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旅日誌マスター

リンデン

ID: efgqnfvan78t

血を見て蒼ざめる人、ウチの父がそうでした。
大人になっても血を見るのが苦手って人はいます。
父の兄弟も血を見るのがダメなクセに医師の学位をとったようですが、外科に関わらなきゃいいんだからと開き直っていました。
そんなことを思い出しながら、前回の続き風な感じで作りました。
その子にどんな資質が眠っているのか。それを如何に発掘するかが、先達となる大人の役目です。
難しいですね。
多種多様な能力、経験を持つ大人たちと同じ場所で共同生活をするというのは、大変貴重な経験になります。
パルヤンは恵まれているなあ。ふと浮かんだそんな思いからのお話。

この発言は削除されました(2021/02/14 03:00) 2

3

旅日誌マスター

リンデン

ID: efgqnfvan78t

>> 2
今はこんにちはの時間帯ですが、おはようございますw
リナリーさん、ありがとうございます✨
濃い個性を持った人々の中で鍛えられると、最強の基礎が築かれるでしょうね。
逞しく成長していくことを祈るばかりです。(*´꒳`*)
青年パルヤンはどんな感じになるのだろうか…。
すごいイケメンになったりして。